現在52歳のCOCOさんは、これまで1度も髪を染めたことがないという。
(シワなし、白髪なしのCOCOさん)
長く、つややかな黒髪。スレンダーなボディライン、シワひとつないお顔からは、実年齢が想像できない。
マクロビオティックを始めて、10年になるそうだが、「今はお腹が空いたと感じたときに食べる」ので十分な体質になったのだそう。
マクロビというと、食べるものがかなり制限されると思うのだが、「毎日食べるわけではないから、何でも食べますよ。外食もするんですよ」というお答え。
その「食べ方の制限」をお聞きしたいと思っていたところ、「なんでもあり」です、ではちょっと肩すかし気分に。
が、10年前にマクロビを始めた頃は、それは厳しい食生活だったという。
40歳を目前にしたCOCOさんは、その頃、売れっ子のインテリアデザイナーとして、夜も昼も仕事づくめだった。
食生活など気にかける暇もなく、朝昼晩と外食のこともごくフツーにあったらしい。
そんな食事を続けていて、まず悲鳴をあげたのが、心臓だった。
「狭心症」・・・60代、70代の老人がかかる病気が、COCOさんの身体を襲った。
折りしもその頃、COCOさんのご主人もまた痛風に。
夫婦しての闘病生活。しかもどちらも、厳しい食事制限が必要な病である。
そうこうしているうちにも、心臓の発作は日々ひどくなり、COCOさんは漠然と「自分の身体がとんでもないことになっている」ことを自覚したという。
当然、お医者さんには診てもらっていたが、毎回山のような量の薬をもらうだけで、一向に改善する兆しがない。
そんなとき、ふと書店で目に入ってきたのが、『マクロビオティック健康法』という本だった。
10年前には、マクロビオティックという言葉を知っている人はまだ少なかった。
それを食事に無頓着な当時のCOCOさんが知るはずもない。
だが、藁をもすがる思いのCOCOさんは、なぜかその本のタイトルに引き寄せられていったのだ。
マクロビの本もほとんどなかった中で、よくその1冊を手にとったと、今でも不思議に思うと彼女は言う。
その本は、マクロビオティックの創始者・桜沢如一の弟子である久司道夫が著した、マクロビ黎明期の指南書だった。
もともとマクロビとは、江戸時代の本草学者/儒学者・貝原益軒の教えが基本になっているが、それを後のマクロビオティックとして集大成したのが、戦前から独自の食理論を唱えていた桜沢如一なのだった。
欧文名なので、多くの人は、欧米の食理論と思うようだが,マクロビは実は日本発のものなのだ。
弟子の久司道夫氏は、まだ健在であるが、米ワシントンDCのスミソニアン博物館に、アメリカにナチュラルフードを広めた偉業がたたえられ、著書などを展示したクシファミリーコレクションが設置されている。存命中にこういう殿堂入りするのは、米国内外を通じても極めて珍しいことなのだそうだ。
ところで、本屋の書棚から『マクロビオティック健康法』を選び出したCOCOさんだが、帰って読んでみても、すんなり内容が頭に入ってこなかったらしい。
世の中は、完全管理の栄養バランス志向。サプリで足りない栄養素を補ったり、栄養補助食品が無限に出回っている。
そんな中で、その本が説いているのは、「玄米と大豆、海藻、野菜だけの食生活のすすめ」である。
肉類は身体にいいとは思わなくても、乳製品、とくに牛乳も飲んではいけない、となると、もう「信じるか信じないか」の領域の判断だったという。
でも、その食健康法で、結核が治った、原爆に被ばくした人が助かった、と書いてあるのを読むと、自身のすぐれない体調を考え、このマクロビオティックというものに賭けてみよう、と思ったそうだ。
1冊では理解できないことも多く、書店めぐりをして、何冊もの関連書籍を読みあさったCOCOさん。
頭で考えるより、何はともあれ、勧められているとおりにやってみよう。
ストイックなマクロビ原理にのっとった食事療法が始まったのは、それからだ。
それと同時に、病院からもらっていた一切の薬も飲むのをやめた。
ある意味、命がけだったと、その頃のことを振り返ってCOCOさんは言う。
「でも、あのとき、マクロビを信じたから、今の私があるんです。ほんとに信じてよかった」
食事療法をスタートさせて、4か月。
COCOさんの狭心症は治った。発作がまったく起こらなくなっていた。
まだあった。
COCOさんは、それまで強度の頭痛に悩まされていたが、おまけのようにそれも治った。
おまけは、それだけではなかった。
子宮内膜症や便秘、病気のデパートを自認していた身体から、すっかり売り物がなくなってしまった。
COCOさんのマクロビへの興味は、ここから始まったのである。
今、農薬や放射能の汚染を心配するお母さんたちを中心に、マクロビオティックへの関心が高まっています。